booing  



 夜は長いとよく聞くが、実際こうも長いとは。
 寝台の中で寝返りを打ちながら、張遼は思う。
 己ではもう夜が空けてもおかしくない程の時間を過ごしたように感じるが、実際は大した時間もたっていないのだろう。
 ………眠れない。
 再び寝返りを打ちながら、張遼はため息をつく。
 原因は分かっている。
 十日程に賊討伐に向けられた軍。それを率いて行った人。
 たかが十日前の事。されど十日も前の事。
 いつも会える筈の相手に、会いたいときに会えないと言うのは、これで中々こたえるものがある。
 それに、憎からず以上の想いをもっているならば尚更。

 眠れないのは
 この身に染み付いたあの人の温もりが

 再び、ため息をつく。
 このような感覚は遠い昔に忘れた筈だったのに。
 彼の人を見捨てたときに、二度と感じる事もないと思っていたのに。
『文遠殿』
 目を閉じればあの人の声が聞こえる。
『文遠、どの』
 普段からは想像もつかない程、熱を込めて囁かれる声。
 無意識に己の鎖骨の辺りに手を伸ばす。
 そこには、消えかかった赤い痕がある筈。
 我知らず笑みを浮かべ。
「……いつもはつけぬ癖に」
 己の身を慮ってか、どんなに激しい情事の後でも痕跡を残さない相手。
 しかし出立前の夜を共に過ごし、翌日の朝になってみれば、鎖骨の下に確と赤く残されていた痕。
 残した相手は既に出立した後だったという。
 目は閉じたまま、夜着の袷より手を滑らせ、残された痕へ直に触れる。
 こんなものを残して何の意味があるというのだろうか。
 それでも、指先が触れた箇所からそのときの感触が蘇る。
 熱い唇と、舌。濡れた音と、声。
『文遠…』
 一際強く目を瞑り、夜着の裾を割って足の間へともう片方の手を伸ばす。
 情けない、と思いはしても、熱を持った体を他にどうしようもなく。
 またはその後の気怠さが睡眠に誘ってくれるやも、と淡い期待もある。
 己の半身を弄びながら、重ねた夜を思い出す。
 張遼を満足させようと、責め立てながらも己の欲を耐えるその表情。
 もしくは、立場を逆にすれば、必死に声をかみ殺そうとする様。
 どちらでも良い。ただ、その表情がどうしようもなく己を煽る。
 手の動きを激しくするにつれ、徐々に息が上がっていく。
「………っ」
 虚しさと共に迎える絶頂。
 濡れそぼった手をかかげてみても、暗闇の中では見えもせず。
「………………」
 公明、と唇だけが動いた。
 あと幾つ、このような夜を過ごさねばならないのだ。



「………なあ孟徳」
「なんだ」
「張遼の様子がおかしくないか?」
「そうか?朝議に遅れず居眠りもしなかった。喜ぶべきことではないか」
「……いや、確かにそうなんだが………」
「うむ。確かに昨日までとは別人だな」
 曹操は卓の上に広げた書簡から目も上げずに。
「今日あたり帰ってくるからではないのか」
「………………………………」
 夏侯惇は声も出さずに納得する。
 そんな昼下がり。
 文官の一人が礼儀正しく徐晃軍の一月ぶりの帰還を報告に来ることとなる。

 全軍あげての帰還報告も終わり、軍の解散は副官に任せた。
 後は遠征の子細を記した書簡を曹操へ直々に渡しに行くだけ。
 書簡を抱え、丞相俯の回廊を歩いて行く徐晃の前、曲り角の柱に寄り掛かる人影がある。
 徐晃がその前で足を止めるのと逆に、張遼は壁から身を起こし、行くのだろう、と回廊の奥を顎で示す。
 促されたように歩き出す徐晃と肩を並べ、張遼も歩き出す。
 一言の会話もなく、共に真っすぐ前を見たまま暫く歩き続け。
 先に口を開いたのは徐晃の方だった。
「張遼殿」
「何ですかな」
 互いに視線を合わせる事もなく。
「…抱き締めても、宜しいか」
 どうせ人気のない回廊に出るのを待っていたのだろうに。
 何を今さら、と思いはしても口には出さず、その場で足を止める。
 徐晃も、張遼と並ぶ位置で歩みを止め。
「…構いませぬよ」
 了承の言葉を得れば、徐晃の片腕が張遼の腰に回される。そのまま、ぐいと引き寄せられ。
 片腕で抱き寄せた張遼の肩に顎を乗せ、徐晃は深々と息を吐く。
 お互いに、顔は見えないが。
 そのように、安堵した息を吐かれては。
 張遼も緩く息を吐き、徐晃の背へと己の両腕を回し。
 
 待ち遠しかったのは自分だけではないのだと、思ってしまうではないか。

 暫く無言で抱き合う二人。
 次に沈黙を破ったのは、張遼の方。
「……汗臭いぞ、公明」
「仕方あるまい。今戻ったばかりだ」
 微かな笑み混じりの非難を、同じく笑みを交えて返し、そうだ、と続く。
「今宵は、文遠殿の屋敷にお邪魔しても宜しいか」
 また聞くのか、と張遼は徐晃の肩ごしに呆れた顔をする。
「……公明。それでもし私が『嫌だ。来るな』と言ったら、どうするつもりなのだ」
 徐晃が張遼の肩から身を離し、腕は回したまま張遼と向かい合う。
 無表情にも見えるその瞳に僅かな動揺を見て取り、張遼は更に憮然とした表情を作る。
 暫く考え込んだ徐晃。再び口を開き。
「では、致し方あるまい。このまま拙者の屋敷にお出で頂こう」
 徐晃の言葉は、張遼を満足させるのに十分なものであったらしく。
 場所も構わず徐晃の唇に己のそれを軽く触れあわせる。
「………文遠」
 嬉しいような、困ったような。複雑な口調で諭そうとする徐晃の言葉を遮って。
「一月も待たされたのだ。後はその書簡を届ける間しか待たんぞ」
 するりと徐晃の腕を抜け出し、早く行けとばかりに手を前後に振る。
「…ああ。すぐに戻る」
 書簡を抱え直し、徐晃は急ぎ足に曹操の政務室へと向かう。
 その背中を見送りながら、張遼は手近な柱に背中を預け。
 知らず、笑みを浮かべる。

 また暫く、長い夜は味わわずに済みそうだ。








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